7月のカレッジ:若狭を知る②「海編」「里編」

前回は湖のくらしをうかがったので、今回は海編、里編です。

1日目は若狭、常神半島に位置する神子集落です。ここで漁業と民宿を営んできた森下幸一さんに、半島の漁村のくらしを伺いました。昔の漁師村の連帯感と厳しいしきたりのお話は、厳しい自然条件、限られた土地の中で36戸の家族が生きていくために築かれたものだったのでしょう。

印象的だったのは、神子集落は昭和42年に道路が通るまで、よそへ行くには移動手段は船しかありませんでした。これまで半島の奥というと不便なイメージしかありませんでしたが、当時は船を持っていることで自由に移動でき、内陸に住む人が「漁師の人の方がハイカラだった」というように、漁師さんたちは隣町へ買物に、遊びに出かけていたそうです。

2日目は里編、三十三間山の山すその上野集落で、先祖代々農業を生業としてこられた石井達さんに、里のくらしについて教えていただきました。

上野集落の周辺は現在は水田が広がっていますが、かつては養蚕や葉タバコもしていたそうで、絹糸は海外へも輸出していたそうです。そして、台地の上にあり、集落内に川が流れていない上野では、かなり古く(江戸時代?)に近隣の川から用水路を引いたそうです。そして、現在ではその水量豊富な用水路を活用し、冬の融雪にも活用しています。この融雪設備がとてもシンプルな仕組みながら、絶妙な工夫がされてあるものでした。上野集落の水扱いにただただ感心させられました。

 

それぞれのお話をうかがい、同じ時代でも海と里のくらしは、全く違うように感じました。それは、今とは違ってそれぞれの集落の行き来が少なかったこともありますが、それぞれの暮らしがそこの自然と密につながっていたからでしょう。そして、どちらも自然や社会変化によって何度も大変な局面にあい、その度に、皆で知恵を出し合い、皆が手や体を動かしていた、という姿が見えてきました。そうしなければ生きていけなかった時代ではありますが、便利で不自由のない現代においても、そのような先輩方の姿勢は見習い、受け継いでいきたいもののひとつです。